歴史
1931年(昭和 6年)6月 | 東京市日本橋区本町(後に本石町と改称)東洋経済新報社社屋内において 創立総会を開催。 設立趣旨書を可決し、評議員と常任委員を選出。 |
1944年(昭和19年)12月 | 太平洋戦争激化により「重大化せる比島戦局」(講師上田良武氏)を最後に 東京での講演会を中断。 |
1946年(昭和21年)2月 | 戦後、「緊縮政策か膨張政策か」(講師石橋湛山氏)から東京での講演会を再開。 |
1946年(昭和21年)12月 | 社団法人の設立許可を与えられる。 |
1947年(昭和22年)1月 | 評議会と会員総会を開催し、初代理事長に三浦銕太郎を選任。 |
1950年(昭和25年)4月 | 法人会員の募集を開始。 |
1960年(昭和35年)10月 | 2代目理事長に宮川三郎就任。 |
1961年(昭和36年)11月 | 東洋経済新報社のビル移転(現在地)に伴い、新社屋の8、9階に移転。 |
1984年(昭和59年)5月 | 3代目理事長に原田運治就任。 |
1991年(平成3年)9月 | 4代目理事長に高柳弘就任。 |
2004年(平成16年)1月 | 5代目理事長に浅野純次就任。 |
2013年(平成25年)5月 | 6代目理事長に柴生田晴四就任。 |
2023年(令和5年)5月 | 7代目理事長に山縣裕一郎就任。 |
創立者と初代理事長
経済倶楽部創立者
石橋 湛山
(1884~1973)
石橋 湛山
(1884~1973)
早稲田大学で哲学を学び、明治44年(1911年)東洋経済新報社入社。敗戦直後までの22年間、第5代主幹。藩閥政治、領土拡張主義、軍国主義への痛烈な批判を展開する一方、金解禁論争でも大活躍した。戦後、政界入りし蔵相、通産相、首相を歴任、日中、日ソ関係改善にも尽力した。湛山全集全16巻がある。
経済倶楽部創立者 初代理事長
三浦 銕太郎
(1874~1972)
三浦 銕太郎
(1874~1972)
早稲田大学で経済学を学び、明治32年(1899年)東洋経済新報社入社。 大正期の14年間、第4代主幹として「東洋経済新報」を主宰。満州放棄、小日本主義を提唱した。特に「大日本主義の幻想」の主張は石橋湛山へ引き継がれ、大正・昭和前期の日本思想における金字塔となった。 石橋湛山とともに経済倶楽部を立ち上げ初代理事長に。 三浦 銕太郎評論選集(全1巻)がある。